渋沢栄一は何をした人?【なぜ500以上も会社を設立したのか】

こんにちはー!!

今回は新しいお金について書いていこうと思います。

2024年に新札が出ますね。

一万円札も久しぶりに変わります。

今までの福沢諭吉さんともお別れです。

新しい一万円札の顔は

「渋沢栄一」

になりますね。

この方何をされて有名なのか知ってますか?

私はこの本を読むまで全く知りませんでした。

渋沢栄一と「論語と算盤」

斎藤孝 著者

今回は渋沢栄一について学んでいきましょう。

おにぎりちゃん
おにぎりちゃん
それではスタートです!

☆渋沢栄一ってどんな人

 

1840年

 現在の埼玉県深谷市の農家に生まれます。
 読書が好きでこの頃に中国の「論語」も読まれたと思います。

1854年 14歳

 父親の方針によって商売についても学び、その商才の片鱗を見せていました。
 学問と商売の両立

1864~1868年 24~28歳

 様々な思想が入り乱れる幕末の乱世に、栄一の人生も大きく翻弄され、栄一はフランス行きを命じられ、政治制度・近代産業を学び、日本に帰ってきました。

1872年 32歳

 大蔵少輪になり、様々な改革に従事しました。

1873年 33歳

 政府の財政方針に反対し、大蔵省を辞職します。

おにぎりちゃん
栄一は日本の産業を発展させ、国の経済を成長させなければならない。
民間に人材がいないので自分が、そちらに行って商業社会に尽力したいと思ったの。

 

民間人となった栄一は500に近い企業を興し、日本の経済発展に屈力していきます。
その起点となったのが「第一国立銀行」です。

設立されたばかりの銀行側からすれば貸付先が必要ですから、栄一は貸付先の企業を創出していったのです。

渋沢が関わった主な会社や団体の一部

関わった会社・団体
その後の主な後身
関わり
金融 みずほ銀行
三菱UFJ銀行
日本銀行
総監役・頭取
株主
株主・割引委員
交通・通信 日本郵船
KDDI
取締役・相談役
相談役
商工業 サッポロビール
東京ガス
東京証券取引所
帝国ホテル
委員長
払受人総代・委員長
創立出願・株式
取締役会長
鉱業 古河機械金属 設立援助、債権者仲裁など
経済団体 日本商工会議所 発起人、会頭など
社会事業 全国社会福祉協議会 会長

鮭太郎
これだけの富と力があったのに何故、渋沢財閥ってないの?

 

おにぎりちゃん
栄一は、皆が参加して国民全体に利益が行きわたるようなものにしなければ、国の繁栄はない。
と考えていたから、才覚のある人間が産業を独占するのはいけないと思ったの。

そして、教育事業を強く支援していましたが、中でも実業教育には多くの力を注ぎました。

1931年 91歳

 この世を去ります。

栄一は病床に伏せても尚、養育院の子の心配をしたといいます。

明治時代の人としては珍しく、機嫌が良い人でいつもにこやかで温厚だったそうです。

「お金というのは、仕事の残りかすみたいなものだ」

それに気をとられていてはいけない。

仕事をやる事こそが大事なのだという生き方です。

まとめ
栄一小さい時から読書が好きで、その時に「論語」を学ぶ。フランスに行った際にヨーロッパを回り政治制度・近代産業を学ぶ。帰国してから大蔵小輔になるが、政府の財政方針に反対し、民間人となった栄一は500に近い企業を興し、日本経済発展に屈力した。

渋沢栄一の柱となった論語とはどんなものなのか、渋沢栄一の論語と算盤で考えてみましょう。

 

☆論語と算盤の教えとは

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日本人の金銭を卑しむ傾向を転換させる

「武士は食わねど高楊枝」

という言葉がありますが、満足に食べるお金がなくても食べているように見せるそんなやせ我慢をするのが男子たるものであり、お金の事を言うのは卑しいとされていました。

「志のある人間は官僚となって国の計画を立てる事と回りが良い」

栄一は金儲けの道に行ったと思われていました。

しかし、経済こそが国を成り立たせるもので、民間の経済活性化が大事

だと彼は一番最初に気づいたのです。

貧富の格差を是正しなくてはいけない。

「貧富の差が激しい場合、お金持ちと貧しい人の関係を調和していくべきだ。その格差を減らすようにしていくことが、ものが分かっている人の覚悟だ」

と言いました。

経済格差は、税制でコントロールするしかありません。

しかし、富裕層に対する税率を高めれば富裕層が外国に逃げてしまうのです。

おにぎりちゃん
貧富の格差については関連記事があるのでそちらもご覧ください。

 

そして、

女性に教育は必要だ。

とも言っています。

「女子を教育して養成するのは、女子一人の為ではなく、やがて善良な国民を養成するものになるから大事だ。

家庭では子供の教育は母親に任される事が多いので女子教育は一人の女子に留まらない。」

と言っています。

栄一は、公を第一に考え、自分のことは二の次でした。

誰よりも国や人々のことを考えていたと思います。

渋沢栄一が一番伝えたかったことは、

「論語(道徳)と算盤(商業)」です。

どちらがかけても上手くいかないということです。

 

ここまで伝えたのは、論語と算盤の一部です。

今回は、こちらの本を参考にしました。

更に詳しく知りたい方は是非読んでみてください。

 

 

 

☆まとめ

「論語(道徳)と算盤(商業)」

どちらがかけても上手くいかないということ

この本を読むまで、渋沢栄一の事は何一つ知りませんでした。

日本の経済を発展させる為に銀行を作り、貸付先の企業まで作ったのはすごい事だと思います。

人の為に行動し、人の為に生きた彼は、1万円札に相応しい人だと実感しました。

人の為に行動出来る人で有りたいと強く思います。

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おにぎりちゃん
最後までお読みいただきありがとうございました。

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